「帰納法的」に「ご利益(りやく)」について考えてみた
昨日(12/16)は先日の氷川神社様のお参りに続いて、藤本宏人先生のセミナーに行ってきました。
■誰もが幸せになりたい、ご利益を得たい
誰もが幸せになりたい。
具体的に言うと、男性であればお金を稼げるようになりたい、お金持ちになりたい。
事業に成功したい。
女性であれば幸せな結婚をしたい、事業を成功させたいなど、人それぞれ願望があります。
もしそれらの願望を実現させたいのなら、一生懸命仕事をする、工夫して成果を上げるといった具体的アクションを起こして、それだけやったのなら成功するよね、といったステップを経るのが「普通」の考えかも知れません。
この考え方はどちらかというと演繹的かも知れません。
■ご利益は演繹的か、それとも帰納的か
“演繹(えんえき、英: deduction)は、一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る論理的推論の方法である。帰納に於ける前提と結論の導出関係が「蓋然的」に正しいとされるのみであるのに対し、演繹の導出関係は、その前提を認めるなら、「絶対的」「必然的」に正しい。”(Wikipedia)
しかし現実の世の中を見てみると同じ才能、同じ努力であっても結果に大きな差が出ることが結構あります。
演繹的事象が世の中を支配しているのなら、同じ才能、同じ努力の人であれば結果に大きな差が出ることは難しいでしょう。
■ニコラ・テスラとトーマス・エジソン。
エジソンは発明王として後世まで高い評価を得た天才にして稀代のビジネスマン。
一方のテスラは、現在われわれが日常当たり前に使っている「交流電流」を発案した科学者であり才能は誰しもが認めていたが、社会的評価はそれほどでも・・・。
積み重ねた事実から結果を推論する演繹的思考では、この両者の人生の違いをうまく説明できない。
“帰納(きのう、英: Induction、希: επαγωγή(エパゴーゲー))とは、個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする論理的推論の方法のこと。演繹においては前提が真であれば結論も必然的に真であるが、帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保証されない。”(Wikipedia)
理由は良く分からないけれど、「神社でこうしたお参りの仕方をしたら良いことがあった」或いは、「新月の日にお参りしたら良いことが起きた」といった事実が太古の昔から積み重なり、それが作法となり、神職はじめ人々が伝えてきたものが現在に至っている。
その「良いこと」が「ご利益」と言われているものではないかと思ったのです。
つまり私が思うに、「ご利益」とはどちらかというと「帰納」的思考からもたらされるものではないか、と考えるに至りました。
■「予祝(よしゅく)」の考えは、未来からやってくる「ご利益」に感謝すること
藤本先生の説明によると、「運」とは「過去」から来るものであり、「ご利益」は「未来」からやってくるもの。
だからこそ、「予め祝う」ことで未来からやってくる「ご利益」をしっかりと受け止めることが大事であると説明頂きました。
税理士という仕事をしていると過去の企業の業績を追いかけて決算書、申告書を作り税額を確定するという作業に追われます。
これは仕方のないことです。
そんな日常の中でも、来るべき「ご利益」を予め祝う気持ち、「あぁ、有難いな」という感謝の気持ちを持ちながら仕事を続けていけたら素晴らしいだろうなと思っています。
具体的には、当事務所にお仕事を依頼されている「企業、個人事業主の方が更に成功していく、成功するに決まっている」ことを自然にイメージしながら、御付き合いしていきたいと願っています。
藤本先生、素敵な気づきを有難うございます!!