日本でも「失敗学」を発展させればいいのに

アメリカのビジネススクールでは何故その企業の戦略が失敗したか、没落していったかを学ぶ「失敗学」という授業があると聞いたことがあります。

 

 

どんな企業であれ、事業主であれ成功を願い、あれこれ考えて実行するのですが、当然すべてが上手くいくわけではありません。

 

 

■「成功学=失敗学」であってもいいのでは

 

 

また、セミナーや書籍でも、こうすれば旨くいく(いった)、成功する(した)という成功体験を題材にしたものが多いです。

 

 

成功体験を追体験するのは大事ですし、多くの示唆を与えてくれるのは事実です。

 

 

でも、こうしたから失敗した、上手くいかなかったという失敗体験の研究も成功体験の研究と同じくらい重要だと思うのです。

 

 

 

昨日の記事とダブりますが、こうしたことをしたから失敗したという「誤った行動」、「誤った考え」を皆と共有すれば、自ずと成功の確率は高まります。

 

 

誰でも成功したいと躍起になって事業を行うのですが、それにはある程度の「指針」や「戦略」が必要で、それを形成する際には「失敗学」から学ぶことが多いはずなのです。

 

 

■日本は失敗に対して忌避感が強い。

 

 

どうしても日本だと「失敗を想定するなんて縁起が悪い」、「何故、始める前から失敗することを考えるのだ」、という風潮から失敗に対するアレルギーが強いと感じます。

 

 

しかし、成功したいからこそ、失敗したときのバックアッププランは不可欠です。

 

 

成功したときのことしか考えない、失敗を想定しない、バックアッププランを作らないというのは、物事を自分に都合の良い解釈しかしないタイプで、別の言い方をすると、失敗を誰よりも恐れているタイプではないかと思います。

 

 

「最悪を考え、楽天的に行動する」のが、やはり事業家には必要なセンスだと思っています。

 

 

つまり、怖いものに蓋をするのではなく、リスクに正面から向き合うという態度が事業家には必須ではないかと。

 

 

 

常日頃からリスクと向き合っていれば、事態が悪い方向に行ったとしても、被害は最小限に抑えられ、次の行動に備えられるものです。

 

 

■アメリカは失敗に関して寛容

 

 

では、なぜアメリカは「失敗学」を重視するのかといえば、恐らく失敗そのものが社会で認められている寛容さがあるからだと思います。

 

 

失敗してもまた一からやり直すことが許される社会だからこそ、失敗を学べるわけです。

 

 

失敗を次に生かすことが許される社会の素地があれば、失敗を学ぶ意味はありまから。

 

 

アメリカ人のプラグマティズム(実用主義)から、学ぶことは多いと思っています。

 

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”全てのよきことが次から次へと、あなたにやってきますように。”