真夏の刺すような日差しも嫌だけど、寒いのはもっと苦手。
僕は小さいころから寒いのが好きではありませんでした。
■小学校の時の通学路は、家まで約3キロの距離
冬は日が暮れるのが早いので、ボヤボヤしていると本当に日が沈んでしまいます。
暗くなった通学路を3キロも歩くのは怖いし、危険だしということで、特に冬は放課後に遊ぶこともせず授業が終わると早々に学校を後にしました。
冬の寒さは今よりも厳しかったので、「寒い」を連発して寒風が吹く中、幼馴染と凍えながら帰った覚えがあります。
小学生低学年の子供が3キロを歩くには、1時間を要します。
小さな子供が寒い中、歩くにはちょっと酷な距離でもあります。
そうはいっても子供なので寒がりながらも、「道端に落ちている空き缶をずっと家まで蹴り続けられるか」、などと遊び心は満載でした。
■僕が小さいころは「熱中症」という言葉はまだなかった
僕が小さいころは、夏の暑さがひどいと言われていた時でも30度を超えるくらいでした。
その頃は「熱中症」という言葉はまだなく、良く使われていたのが「日射病」という言葉でした。
強い日差しの中、帽子もかぶらずに外で活動していると、「日射病」になるぞ、とよく言われたものでした。
今はひどい暑さだという場合は、普通に35度を超えています。
夏に信号待ちをしているときは、電信柱を探して、その陰に隠れるようにしています。日差しが強すぎて、皮膚が焦げる気がするからです。
ちょっとした命の危険を感じるのです。
そんな夏の熱さの最中も、「これは堪(たま)らない」と辟易するのだが、自分の中ではそれほど悲壮感は出てこない。
「こんなに暑くなって困ったものだ」と言いながら、何処かでそれを楽しんでいる自分がいます。
ただ本当に暑くて生命の危険を感じるほどの日もあるので、あと何年、その熱さに対して鷹揚でいられるか分かりません。
年々暑さの基準が少しづつセリ上がってきており、生命の危機を本能的に感じる日が増えてきているからです。
■今日のつぶやき
昨日の夕方、注文していた書棚が家に配送されました。
家を建ててから15年経ちましたが、増える一方の書類はバインダーに閉じて
段ボールに入れていました。
改めて書棚に格納してみると、頭の中でイメージしていた書類の量よりもかなり少ないのです。
雑な書類管理が自分の中で勝手に書類の量を増殖させていたのかもしれません。
整理整頓するということは、自分の頭の中も整理整頓することなのだと気が付きました!