錦織の挫折とその後の快進撃と僕の税理士試験の思い出
ATPランキング9位の錦織がロンドンで11日に開幕したATPツアー・ファイナルの初戦でロジャー・フェデラーを破って上々の滑り出しを果たした。
スコアは、7-6 (7-4), 6-3のストレート。
3セットマッチを2-0で終わらせたことで残りの試合に残す体力の温存を図れたことは大きい。
年間最強を決めるATPツアー・ファイナル(ロンドン)とは?
この大会、ATPランキング上位8人が2つのグループに分かれ総当たり、上位2人が準決勝に進むが、その後はトーナメントにより年間の真のチャンピオンを決定する。
つまりこの大会の勝者は、強者の中の強者、王の中の王になる訳である。
錦織は昨年、手首の怪我から戦線離脱したが、今年1月に復帰し徐々に調子を上げ今年最後の檜舞台に上がったが、ものの見事に初戦を飾った。
このツアー・ファイナル、上位8選手だけで構成されるので、つまらない試合がある訳がない。
どの試合も旬の2人の選手が1ポイント1ポイントに体を投げだし、神経を張りめぐらせるフィジカルとメンタルの総合格闘技が繰り広げられるのだ。
ATPツアー・ファイナルは、会場のO²アリーナが素晴らしい
また、この大会は会場であるロンドンのO²アリーナ(室内ハードコート)が素晴らしい。
O²アリーナはロンドンオリンピック・パラリンピックの会場ともなったところ。
室内テニスコートだが、試合中の観客席は照明が消され暗いものの、コート上は照明により頭上から眩しいくらいに照らされ、コートを駆け回る選手の動きが暗闇の中で浮かび上があり、彼らの躍動感が半端ない。
選手は高く上がったボールをスマッシュで叩くときなど、照明の眩しさのあまり目測を誤ることも珍しくない。
ウィンブルドン選手権が開催されるオールイングランド・テニスクラブとともに何時かは訪れてみたいテニスの聖地である。
錦織の挫折とその後の快進撃と僕の税理士試験の思い出
錦織が怪我で戦線離脱したのは、今回が初めてではない。
2007年に17歳9ヶ月でプロに転向したが、その2年後の2009年に右肘の疲労骨折が判明し、内視鏡手術を受けている。
ちなみにこの時のリハビリパートナーは、杉山愛の母である杉山芙沙子さんが務めている。
錦織が怪我からの復帰を目指しリハビリに励んでいるその時、僕はまさに税理士試験を受けている最中だったが、プロとしてデビューしたばかりの錦織が怪我で手術を受けるというアクシデントに妙に共鳴してしまい、絶対にカムバックしてくれと勝手に祈っていた。
その祈りとは、なかなか税理士試験にパスしない自分とデビューした翌年にツアー初優勝を飾り前途洋々に見えた彼が、思いもよらない怪我で暗闇に沈んでしまったという全く関係のない事象をシンクロさせ、彼がカムバックし活躍することを自分の希望としていたのだ。
その錦織が右ひじの故障を立派に克服し、数年後の2014年9月、USオープンでの快進撃には胸の中に熱いものがこみ上げてきた。
特に圧巻はジョコビッチとの準決勝で、あのジョコビッチが錦織とのストロークの打ち合いに分が悪いと悟り、いら立っている様子が見て取れた。
ここに至るまでの彼の苦闘を僅かではあるが知るものとしては、これ程に胸のすく思いは無かったのである。
続く決勝は、クロアチアのマリン・チリッチとであったが、彼のビッグサーブに翻弄され3-6、3-6、3-6のストレートで敗れ優勝を逃してしまったが、錦織の活躍は僕の血を滾らせるのに十分であった。
そのあと僕の胸に去来したのは、「錦織は立派に復活したが、僕はどうなんだろうか」という自問自答だった。
その年の8月初旬に受けた試験の出来はどう考えても不出来で、合格の見込みがあるようには感じなかったからである。
■今日のつぶやき
今回のこの記事、実を言うと3日ほど前に書いたものですが、のんびりしていたら大会が始まってしまい急遽内容を少し変更してアップしました。
ある程度のスピード感は何事にも大事と思い至りました・・・・。
今年のATPツアー・ファイナル、もしかすると、もしかするかも・・。